←(名古屋名所団扇絵「堀川花盛」) 名古屋市博物館蔵

江戸時代の堀川は様々な魚がすみフナや蜆は食用にされ、水泳も十分できる水質でした。
川岸の桜並木沿いでは賑やかにお花見が繰り広げられていたのが絵図として残っています。

明治~昭和にかけ名古屋が産業都市として繁栄すると急速に堀川が汚れていきます。
昭和40年代に最悪の水質となった堀川は、平成に入り河川環境の整備や市民活動による浄化作業が始められました。
これは今なお行われており、自然素材生活社もこの活動を支援したいと思います。

具体案として、水質改善バクテリアを撒きながら運行する水上バスの企画。
市営の路線便として定期運航し、走りながら浮遊ゴミを回収する装置も搭載できないかと考えます。

堀川は熱田神宮、柳橋、名古屋城をつなぐ観光ルートでもあるため、水上バスは定期観光船としても
重要な存在となります。

堀川をきれいな川に戻そう、そして定期船を!

202?年。

名古屋城天守閣の木造化が終わり数年が経ったころ。

堀川がこんな風になっているといいな。
未来予想図を描きました。

ここは松重閘門。

かつて堀川と中川運河とを結び、近代期の名古屋の産業発展を水運面で支えていた水門です。

建築物は当時のまま残されているので、遺構となった今は名古屋の観光スポットとして十分魅力ある所です。
浄化された堀川に定期船が走ります。
市民の足として、また観光船として活躍しているようです。