■梅雨入りは目前。明日の日曜日は、快晴とはいかないまでも、なんとか天気がもちそうなラストチャンスに違いなかった。だからチケット売り場に立ち寄り、往復とも希望どおりの便が買えたのには、かえって拍子抜けした。SARS騒動で、海外旅行のガタ減り状況が続いてはいたが、小京都と呼ばれる高山市街や新緑のアルプスを楽しめる日帰り旅行まで、さっぱり客が集まらないのだろうかと、余計な心配をした。果たして、往復5000円の超お得チケットにも関わらず、朝7時30分名鉄バスセンター発の「飛騨高山行き高速バス」に乗り込んだ客の数はわずか十数名。一家に一台の時代はとっくに過ぎ、二台、三台が当たり前のマイカー全盛時代だから、いちいち乗り込んで、多少の気兼ねが必要なバス旅行など、真っ平だということかも知れない。しかし、私は少し違う。車社会の進展を否定しようなどとは露ほど思わぬが、マイカーと公共交通機関のバランスの取れた社会が望ましい、とは思っている。高齢化がいっそう進む日本社会にとって、公共交通機関の役割はむしろ増大するに違いないからだ。しかし、このまま利用者の減少が進めば、コスト削減のため便数を減らさざるを得ないし、その分不便になるから利用者はさらに減る。そんな悪循環に陥って行くことを心配している。現代社会は、もう十分密室化してしまったのだから、敢えてひと時を、見知らぬ人々と同じバスに乗り合わせるのも悪くない。「袖触れ合うも多生の縁、旅は道ずれ、世は情け」、そんな言葉はもうとっくに死語になってしまったのだろうか。 |
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■さて、今日の目当ては「平湯の大ネズコ」に逢いに行くこと。高山濃飛バスセンターで高速バスを降りて、さらに新穂高線のバスに乗り換える。乗り換え時間はわずか10分と極めて便利だ。手元の「巨木に会う本」(巨樹・巨木保護中央協議会事務局発行)を見ると、「平湯キャンプ場前で下車」と書かれている。時刻表によれば、およそ1時間弱の道のりだ。市街地を抜けると、やがて小八賀川に沿ってバスは進む。さすがここまで来ると、その山懐の深さを感じないわけにはいかない。その全貌を望めるほどの天気でないのが残念だが、この時期でもなおいくつも残雪が認められる。さすが日本の屋根と呼ぶにふさわしい山々だ。 |
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▲平湯キャンプ場 野営管理事務所 |
■「平湯キャンプ場前」で下車したのは、私ひとり。オートキャンプ場として十分な整備もされているキャンプ場だが、テントの数もほんの僅かに過ぎない。もう昼近いから、あらかたは、次の目的地に向けて出発してしまったのだろう。バス停前には、「野営場管理事務所」があるので、そこに寄って、大ネズコへの道を尋ねることにする。声を掛けると、すぐにひとりの女性が出てきてくれて、指を指す。「この山の上にあるんです。あの野鳥の看板の先に右に入る山道がありますから、それを登って下さい。20分も登れば着きますよ。」と、教えてくれる。ここは飛騨高山からさらに入った「奥飛騨」である。そこに住む女性が話す言葉に、まったくと言って良いほど、ナマリがない。むろん最近まで都会暮らしだったのかも知れないのだから、ナマリ言葉に出会えなかったとしても、不思議ではない。しかし、ここ数十年の間に、交通や通信が飛躍的に発展したひとつの結果が、どんな山深い村や部落を訪れても、ナマリ言葉ひとつ聞くことのできない日本になったと言うのなら、私にはちょっと寂しい気がする。 |
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▲「平湯野営場生息野鳥」の看板 |
■「平湯野営場生息野鳥」の看板には、カッコウ、キジ、フクロウなど全部で15種類の野鳥が描かれている。鳥たちはこの森の変化をどんな風に感じているのだろうか。野鳥たちにとって、この森がいつまでも棲みやすい最高の場所であって欲しいと思うのだが、国道が突き抜ける野営場は、人間にとっては便利だろうが、野鳥にとっては棲みづらいものに違いない。
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▲案内板 |
山道入り口近くに上宝村巨樹・巨木保全協議会が建てた案内板がある。「昭和初期、林野庁より村人が原木を払い下げていただき、炭焼きをして生活の支えとしていた時、巨木を発見しました」と書かれている。この巨木が発見された時期も案外最近のことだったのだ。

山道に入った瞬間、木陰がつくるひんやりとした空気が全身を包み、たっぷりと水を蓄えた山道の足に伝わる柔らかな反発が何とも心地よい。しかし、山道は急だ。傾斜は優に30度を超えているだろう。道幅も人ひとりが通れる程度で、狭いところでは50センチほどだ。この地域は、積雪期には1メートルほどの積雪があるだろうから、その時期に登ってくることは到底無理だろう。5分と経たぬうちに、息が切れてくる。やや行くと、平坦な道となるが、すぐにまた急峻な登りとなる。息を整えながら、ゆっくりと登っていくと、やがて「平湯の大ネズコ」が突然姿を現す。登り始めてから、私の足で15分ほどであった。 |
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■なるほど、推定樹齢1000年の大ネズコだ。北西の枝は折れた跡が見られるが、樹高23メートル、幹周り7.6メートル、青々とした葉を茂らせる巨木は、実に堂々とそこに在る。樹勢はなお盛んで、樹形も見事、貫禄十分な巨木である。本誌第3号で「鳳来町の杜松」を紹介したが、樹齢1400年のその老木は正に翁の風格を備えていた。一方、この「平湯の大ネズコ」は、推定樹齢からすれば、「鳳来町の杜松」の息子みたいなものだ。そんな言い方があるのかどうかは分からぬが、まだ壮年期の巨木かも知れない。
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「鳳来町の杜松」に比べ、樹高も幹周りも2倍を超えるのだから、「大ネズコ」と言うにふさわしい。生気あふれる根張りの力強さに、ひと際魅せられる。自分が死んだ後、何百年もこの巨木は悠然と生き続けるだろう。深く頭を垂れ、手を合わせる。振り向けば、真北の方向に、残雪に輝く高嶺が見えた。引き返す道で、地元の青年と少年の二人連れに出会う。あの山は何と言う山ですかと聞くと、笠ケ岳ですと答えてくれた。青年によれば、この辺りはそんなにネズの樹が多いというわけではないらしい。巨木に逢うといつもの湧き上がる疑問だが、何故このネズ一本が、周囲の木々を圧し、ひとり成長し、1000年もの長い時を生き続けてきたのだろうかと思う。ひと時、青年とそんな不思議についてやり交わして別れた。「巨木に逢う本」は、森の巨人たち100選と題して、全国の森林管理局が管轄する国有林に存在する巨木を100本紹介していて、この「平湯の大ネズコ」には、No.55の番号が振られている。なお、岐阜県内には、No.54「宮の大イチイ」、No.56「天保の大ヒノキ」がリストされている。近いうちに、逢うのを楽しみにしている。
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■「平湯キャンプ場前」バス停に戻って、近くにあるという「平湯大滝」を見に行くことにした。目の前の「平湯スキー場」の右手の緩やかな道を登る。「車で1分」と書かれてあったが、徒歩では15分の行程だ。高さ64メートル、幅7メートルの水量豊かなこの滝は、確かに「一見の価値」がある。だが、車でわずか1分の至近距離を、観光客は何故歩こうとしないのだろうか。とにかく一番近い駐車場まで、競ってマイカーや観光バスで乗り付ける。自然と語り合うこともなく、そそくさと立ち去っていく「便利さ」とは一体何なのだろうかと考えてしまう。
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